麦踏み

子供頃、畑では小麦を沢山栽培していました。開拓農家で、水が無く水田が出来なかったためです。大麦も多少は作っていましたが。それはお米・芋・豆を炊く時の量増やしです。収穫した小麦は農協に持って行くと、うどん と交換してくれました。私たち家族は 芋 と うどん で育ったようなものです。冬の畑に小麦の青さが目立つようになると、母と一緒になって「麦踏」をしたものです。霜柱と一緒に土から浮き上がってしまうのを防ぐためです。写真は現在の休耕田を利用した麦栽培です。 農家は二度にわたり、数年前まで水田を耕地整備して機械化に対応するように奨励されて15年の大きな借金を背負い、水田を直しました。米の収入は借金と農機具代金で消えました。今は米を作るな(減反の症例)です。麦栽培は米栽培の凡そ半分の収益です。しかも専用の機械がまた別途必要です。日本の農業は政治につぶされています。