私の父は名古屋で終戦を迎え、その後の暮らしを産まれ故郷である、現在の地に新規開拓者として入植しました。農業といっても水源のある土地はすでに古来の農家が営農をしていますから、水源のない山肌や丘の上が開墾地でした。そこで父はぶどう農園を始めるために、勉強を兼ねて、この岐阜県中山間地試験場に研修生として3年通っていました。四苦八苦の末、自分が開拓組合長になり、付知川右岸羊水開通にこぎつけ、今の水田農家になったのです。
しかし、後継者はなく、農家では暮らしが成り立たなくなった現代。
どう考えれば良いのでしょうか。